福岡のブランディングデザイン個人事務所|ANIK(エイニック)

日々えいにっく

23歳ニートから独学でグラフィックデザイナーになるまでに歩んだ僕の進路5つ

Pocket

福岡のデザイン事務所 ANIK(エイニック)代表
福岡のブランディングデザイナー 。1983年生まれ。独学でデザインを学び、福岡の広告代理店にインハウスデザイナーとして勤務中。そのかたわら、中小企業専門でブランディング戦略型WEB・ホームページ・DTP制作をワンストップで行っています。

お金がなくても、自分次第で道は切り開ける!

実際の経験を踏まえて、僕はそう思います。

 

実際に僕は独学でグラフィックデザインのスキルを身につけ、現在もデザインのお仕事にたずさわっています。

今日はニートだった僕がグラフィックデザイナーに至った経緯をご紹介したいと思います。

 

1. 23歳 脱サラからニートへ

脱サラからニートへ

福岡の4年生大学を卒業後、新卒で通信系の会社にさらっと就職しました。

大量採用だったので、就職活動を始めて2社目であっけなく内定。

 

どこにでもいる普通の学生でした。

しかし入社して1年後、社長の経営の悪さが明るみになり、会社が傾きます。

 

ある日、会社に行くと警備員がたくさん。

恐る恐る自分の席につくと、部長から一言。

 

「自己破産を申請しました」

 

事実上の倒産ってやつです。

 

その後、すぐに自主退社を募りだしたので、見切りを付けて、即退社。

23歳の秋でした。

 

 

 

2. 北海道のペンションで働く

北海道

仕事を辞めたのはいいものの、次にやる事も特に決めていませんでした。

とりあえず実家に帰り、TSUTAYAに入り浸る毎日。

 

当時はプリズンブレイクという囚人が脱獄するまでのストーリーを描いた海外のドラマがブームだった為、終日部屋に篭りDVD鑑賞。

廃人コースまっしぐらでした。

 

このままじゃいかん!と思い、とりあえず当時はまっていたスノーボードでもしよう思い、いざ北海道へ。

両親に激しく罵声を浴びせられながら、なけなしの20万円を握りしめ、北の大地へ旅立ちました。

 

住み込みで働ける場所を、知り合いの旅人に紹介してもらえたので、北海道に到着した翌日からペンションのフロント業務。

 

朝は屋根の雪かき。

野良キツネが近所をフラフラ散歩。

のほほんとした毎日。

 

仕事の合間、シーズン中はほぼ毎日ニセコのヒラフというスキー場を滑り倒しました。

リフトで外人にクッキーもらったり、山頂から下まで直下降したり、クラブで酒にまみれて踊ったり(笑)

 

楽しかった。

 

日本人よりオーストラリア人が多い地域で、4ヶ月生活を送りました。

 

何よりもタコ部屋で一緒に住んでいた、プロスノーボーダー、レゲエ好きなカップル、関西のイケイケギャル、トマムから夜逃げしてきた東京のラッパー、ロックフェス狂女子。

 

それぞれのライフスタイルや価値観を共有し、大切な仲間に出会えた事が何よりの僕の財産になりました。

 

 

 

3. 現実の世界へ舞い戻る

春の陽気

ノンストレスな4ヶ月の生活を終え、世間はすっかり春の陽気。

何のあてもなく、とりあえず福岡の実家に帰ってきました。

 

北海道で少し貯金ができたので、一人暮らしをするためすぐに家をかりました。

それから昼はテレアポ、夜は居酒屋とバーで働くことに。

 

当時は生活が不規則すぎて、仕事中に倒れて近所の病院で点滴を打ったことも。

体を大事にしようと思った24歳の春でした。

 

 

 

4. グラフィックデザイン系の会社に転職(アルバイト)

デザイン系の会社

半年ぐらいして昼間のテレアポの仕事を辞めて、事務の会社に転職することに。

 

テレアポって1日中電話番号のリストを見ながら、同じ人に何回も電話をかける仕事なので、精神的に病んでしまう人が多いんです。

 

僕もその中の1人。

見た目によらず、メンタル弱いんです。

 

すがる思いで始めた事務のバイトだったんですけど、たまたまグラフィックデザインの仕事もやってる会社だったんです。

それからグラフィックデザインの世界へ、少しずつ足を踏み入れるようになりました。

 

当時、グラフィックデザイン系の専門学校に通おうと思ったんですけど、学費がめっちゃ高くて払えないなって。

先輩からのアドバイスもあり、よし!独学でグラフィックデザインを勉強しよう!と思ったんです。

 

まずはグラフィックデザインの製作環境を自宅で整えることから始めました。

学生の知り合いから学生証をかりて、電気屋さんでグラフィックデザイン系のソフトを学生価格で購入。

 

一般価格と学生価格ってびっくりするぐらい値段が違うんです。

当時で学生価格で10万ぐらいだったと思います。

普通に買ったら20万ぐらい。

ひどい価格設定ですよね。

※現在は、ライセンス契約で月額の固定費のみで使用できるようになっています。

 

独学を始めて一番最初にやった事。

それは、インターネットで簡単なhtmlのサイトを見つけて、参考書片手になるべく同じ見た目になるように作るという作業。

 

分からない部分は、職場の先輩に教えてもらってました。

ちなみに基本的なhtmlについてはこちらの記事に以前まとめたので参考にしてください。

 

 

 

5. いざ制作部へ

制作部へ

1年ぐらいたってから、人事担当の方に「グラフィックデザインの仕事がしたいんです」って相談しました。

ただ、グラフィックデザインの仕事となると誰でもって訳にはいかないので、Webバナー作成の試験をうけました。

 

 

7個ぐらいのWebバナーを夜中まで作っていたような気がします。

あんなに一生懸命Webバナー作りに没頭したのは、後にも先にもあの時だけかも(笑)

 

 

なんとか試験をクリアして、おかげさまで今も同じ職場で働かせていただいています。

 

 

 

まとめ

いかがでしたか?

今日は僕がグラフィックデザイナーになるまでの経緯をご紹介しました。

 

今まで周りの環境のおかげで、ここまでやってこれたな〜とつくづく感じます。

もちろん自分がこうしたいっていう想いも大事ですが。

 

これからは一人じゃなく家族が支えてくれます。

自分の理想の生活を手に入れ、家族が幸せでいられるよう、もう少しだけ頑張ってみようかなと思います。

Pocket

ブランディングのご依頼はこちら
福岡のデザイン事務所 ANIK(エイニック)代表
福岡のブランディングデザイナー 。1983年生まれ。独学でデザインを学び、福岡の広告代理店にインハウスデザイナーとして勤務中。そのかたわら、中小企業専門でブランディング戦略型WEB・ホームページ・DTP制作をワンストップで行っています。